岡山県の倉敷は、県内有数の観光都市である。なかでも、江戸時代そのままの白壁土蔵が軒を連ねる「美観地区」は岡山観光の目玉だ。洋の東西にわたる膨大な驚くべきコレクションを誇る大原美術館は、その美観地区にあり、日本を代表するアートスポットと言えよう。常設展示品600点を誇る倉敷民藝館も興味深い。
その地区の真っ只中で、倉敷川の河畔の中橋のすぐ隣という絶好のロケーションに位置するのが「旅館くらしき」である。世界的チェリストであるヨーヨー・マなどの海外からの著名人や、棟方志功や司馬遼太郎が定宿にしてきた名旅館だ。
今回、昨年末に着手した全面的な改装を完了してリニューアルオープンした。その全貌を体験する機会があったので、どこよりも早く、概要を紹介したい。
宿は感動的なほどに生まれ変わった
「旅館くらしき」の創業は1957年だが、骨格の主要部分は江戸時代につくられた砂糖問屋の屋敷と蔵であり、それらを改装して旅館となった。280年もの月日を経た建物である。私が前回訪れたのはちょうど10年前のことになる。それがどう変わったのか。
歴史を感じさせる外観
ゆの間の浴室
ひと言で言うと、ダイナミスムと繊細さが合体した西日本を代表すべき宿に変貌した。骨格はもちろん、随所に江戸時代からのパーツを、現代の木材と和紙とに見事に融合させている。とはいえ、和に振り切った感じではないところに、モダンなセンスを感じさせる。
各ゲストルームの間取りも変わり、天井も広々として、より落ち着けるものになった。8つの客室は、それぞれがまったく趣を異にする。共通するのは、高野槙でできた浴槽が完備されていること。どの部屋にも箱庭がついていて、可憐な草花がナチュラルな野山を思わせるところである。各部屋の窓枠をすべて木製にするようにこだわったことにも感動した。江戸時代の構造体としての問屋や蔵を最大限に活かしていることは言うまでもない。
それと、部屋に置かれた新旧の、選び抜かれた家具の趣味の良さも目を見張るものがある。連泊で部屋を替えたり、リピートする楽しみがあろうというものだ。
落ち着いた心地いい「テラス」
一日中かけ流しの「離れ湯」
パブリックスペースとして特筆すべきものが3つある。まず、宿泊客が利用できるラウンジである「テラス」も居心地のいい空間だ。飲み物や菓子を無料で楽しむことができる。それと貸切風呂の「離れ湯」が素晴らしい。1組あたり50分間の利用だが、庵治石の浴槽が見事で、温泉水ではないが、一日中かけ流しであるところもポイントが高く気持ちがいい。
3つ目は旅館に隣接する「珈琲館」で、焙煎コーヒーの専門店だ。1971年の開店以来、豆を厳選して焙煎技術を高めてきた。古にタイムスリップしたかのような雰囲気もさることながら、最高級の「エメラルドマウンテン」やコーヒーにリキュール、ハチミツ、生クリームをたっぷり加えた「琥珀の女王」、コーヒーゼリーなども絶品だ。ここは旅館とは別会計となる。
瀬戸内の恵まれた食材を極上の料理で
宿の料理について触れておきたい。夕食で味わったのは「星月夜 葉月の献立」である。どれも素晴らしかったが、岡山で採れた赤南瓜すり流しの中に胡麻豆腐と枝豆が入ったお椀物はホッとさせるような滋味深い味わいで、玉ねぎのペーストと豆乳と出汁の中にくぐらせるハモしゃぶが絶妙の味だった。火入れが見事な岡山県産の和牛サーロインは、リンゴソースとその場で擦ったワサビと塩昆布つけるのが斬新で実にマッチングの妙を感じた。塩茹でした瀬戸内の渡り蟹にレモンジュレを掛けた酢の物は新しく爽快で、〆の炊き込みご飯はトウモロコシの甘みとお焦げの香ばしさが一体となって秀逸だった。
絶品だった「ハモしゃぶ」
料理長は瀬戸内という食材に恵まれた地の利を活かし、海の幸、山の幸をメニューに存分に取り入れ、ストレートに素材の旨味を引き出すことに卓抜した腕をふるっていた。料理は月替わりするというから、食の楽しみが大いにふくらむ。
最後に、ベッドがあまりにも寝心地がいいので聞くと、丸八だそうだ。枕も柔らかくてとにかく快眠できた。
それと、宿から徒歩3分の町屋や商家が軒をつらねる美観地区内に、一棟貸しのレジデンスが2棟あることも付記しておく。築100年を超える町屋を和モダンに改装したここも、極めて優れた宿であることを言い添えておきたい。
街へ海へ、様々な文化を宿がつないでくれる
さて、倉敷は文化の中心地でもある。この宿は地域文化とともに歩むことを旨としている。真向かいにある大原美術館しかり、ゲストが求めれば、備前焼の窯元訪問や「倉敷てまり」などの地域の民芸見学や、地元の酒蔵見学と利き酒体験もできる。夜の部門では、それぞれに特徴が際立ったバー巡りも実に楽しい。
船に乗って直島へのアートツアーも手引きしてくれる。また、海外のゲストからのリクエストが多いのだが、ランチ込みの瀬戸内海のクルーズやアイランド・ホッピングなども可能だ。SETOUCHI ISLANDERのカタマランヨットがラグジュアリー気分を盛り上げてくれるだろう。
石橋俊澄 Toshizumi Ishibashi
「クレア・トラベラー」「クレア」の元編集長。現在、フリーのエディター兼ライターであり、Premium Japan編集部コントリビューティングエディターとして活動している。
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